「なんだか楽しそうだね〜」
金髪の美男子はニコニコしながらリザレリスたちに歩み寄ってきた。
「えっ、おまえの兄貴なの?」
リザレリスが訊ねると、黒髪の美男子はうんざりした顔で頷いた。
「ああそうだよ」
「そうです。僕は彼の兄です。素敵なお嬢さま」
金髪の美男子はリザレリスに上品な笑顔を向けた。
「そ、そうなんだ」
思わずリザレリスは彼の顔に見入ってしまう。黒髪の男に負けず劣らずの美男子。だがこちらの男の方はもっと優雅な気品があり、自然な余裕に満ちあふれている。細長いまつ毛の間からのぞく怜悧な目には、アンティークゴールドの瞳が上品な輝きを放っている。
まるでどこぞの超イケメン坊っちゃんだ。これは普通の女だったらソッコーで落ちるだろうなと、リザレリスは前世の人格から本気で思った。
「ん?僕の顔になにかついているのかな?」
不意に金髪の美男子がリザレリスの顔を覗き込んできた。
「い、いや、なんでもない」リザレリスは後ず
【5】城に戻るなり、リザレリスはエミルを連れてディリアスの執務室に押しかけた。先ほど考えたことを伝えるためだ。「本当に、よろしいのですか?」王女の提言を受け、ディリアスは一驚し、確認を求めた。「だって別に、ここまで贅沢しなくたって生きていけんだろ?」リザレリスはふんと鼻を鳴らす。「承知しました。ではそのようにいたします。国民の心がよくおわかりになる、親愛なる王女殿下」ディリアスは深々とお辞儀をした。それは忠誠心だけではない、心の底からの感謝の念がこもっていた。さらにその感謝から、さらなる忠誠が形成されていくようだった。リザレリスの斜め後ろに控えるエミルも、ディリアスと同様の想いでお辞儀をしていた。「そ、そこまで言われることでもねーし」何となく気恥ずかしくなったリザレリスは腕組みして視線を逸らした。彼女の提言とは何だったのか?それは城での暮らし向きについてのことだった。ここまでの贅沢は必要ないし、なんだったら一般国民と同じぐらいの普通の生活でもいい。リザレリスはそう伝えたのだ。「あっ、でもやっぱりご飯は、それなりに美味しいものは食べたいかな〜」言ってから急に惜しくなったのか、リザレリスは頭をポリポリ掻きながら潔くないことも口にした。彼女のその決まりきらない感じは、むしろディリアスとエミルの好感の笑いを誘った。そんな時だった。突然あわただしく部屋のドアがノックされた。何かと思いディリアスは思考を巡らせるが、すぐにエミルに目配せをしてドアを開けさせた。「ディリアス公!」入ってきたのは小太りの重臣、ドリーブとその部下だった。「なんだ、騒がしいな。一体どうした?」ディリアスが応じるとドリーブは、彼の前に立っている若い女に気づいて怪訝な目を向けた。女はボンネット帽子を脱いで反応する。王女の可憐な顔が露わになった。「なんだよ」「こ、これは、王女殿下!」「いいからいいから。それよりなんかあったの?「そ、それが、実は......」と部下の方が言いさした時。「まったくなぜそんな重要な情報を掴めなかったんだ!」ドリーブが部下を怒鳴りつけた。「も、申し訳ございません」「使えないヤツだ。この馬鹿が。よりにもよってなぜこのタイミングで......くそっ!」ドリーブは王女の面前で口汚く部下を罵しった。明らかに何かがあったことを示している。リ
「ウィーンクルム王子がお忍びでブラッドヘルムに来ていた、ですか......」話を終えたドリーブが退室し、三人だけとなった部屋で、エミルはため息をつくように言った。「てゆーかさ」と、事の重大さを理解していないリザレリスは背もたれに体を預けながらのん気に言う。「それのなにが問題なんだ?」エミルの目が点になるが、ディリアスは半ば感心したように軽く吐息をつく。「さすが王女殿下は大物ですね。確かにこうなってしまった以上、焦っても仕方ありません」「だって王様が来たわけじゃないんだろ?」リザレリスはあっさり言ってのける。彼女は深く考えていない。「王子が来たぐらいでさ」「おっしゃるとおりです。しかもお忍びということは非公式ということ。ただ、問題はタイミングなんです」「タイミング?......あっ」「気づかれましたか?」「俺...じゃなくて、わたしと王子の結婚が話題になってたんだ!」やっと理解したリザリレス。「だからその話をぶち上げたドリーブのおっさんが焦りまくってたのか」「さようでございます。もしウィーンクルム王子の機嫌を損ねることになり国交関係にも影響を及ぼすことにでもなれば、ドリーブ卿の政治生命にも関わることになります」「ということは」リザレリスは閃いたようにぽんと手を叩く。「ディリアスの立場はむしろ安泰になって良いじゃん」「いえ。私の立場の問題などは、国家の問題に比べれば瑣末なことに過ぎません」ディリアスは神妙に言う。「〔ウィーンクルム〕との国交関係が悪くなることは、国益に反します。それは由々しき問題です」にわかに部屋の空気が重くなる。さすがのリザレリスも、肘掛けに肘を置いて頬杖をつき、難しい顔をする。エミルは床を見つめて何かを考えていたが、ふと思い出したように口をひらいた。「ディリアス様」「どうした?」「ウィーンクルム王子のお名前を、改めてお伺いしてもよろしいですか?」「長男がフェリックス・ヴォーン・ラザーフォード。次男がレイナード・ヴォーン・ラザーフォード。その下がフレデリック・ヴォーン・ラザーフォード」ディリアスの返答に、リザレリスとエミルは、やおら顔を見合わせる。「ま、まさか......」次の瞬間だった。また部屋の扉が慌ただしくノックされた。ノック音のテンポと強さから、先ほどよりも深刻さが感じられる。なにか急ぎの用であろうか。
国賓用の豪華な応接間に、ディリアスが王子ふたりを迎え入れた頃。エミルの監視の下、リザレリスは自室で大人しくすることを余儀なくされていた。幸い侍女のルイーズが所用で席を外しているのをいいことに、リザレリスはぶつぶつとボヤく。「レイナード王子って、本当にあの黒髪のクソイケメンなのかなぁ?だとしたら文句言ってやりてー」ここで急にリザレリスは「あっ」となって、すっくと立ち上がった。 「リザさま?」「なあエミル。確かめに行こーぜ?」「確かめる、ですか」「だから本当に雑貨屋であったアイツらが王子なのかどうかを確かめに行くんだよ」「しかし、ディリアス様には会談が終わるまでは部屋から出ないようにとの指示が...」「だからさ。こっそり覗きにいってみよーぜ?」「の、のぞきにですか?それは......」当然ながらエミルは賛同しない。そんなエミルを見て、リザレリスはニヤリとする。
【6】ディリアスと王子たちの非公式の会談は、和やかに行われていた。といっても話をしていたのはディリアスとフェリックスで、レイナードは兄の隣で相槌を打っているだけだった。「私はもっと〔ブラッドヘルム〕との貿易は盛んにすべきだと思っています」兄のフェリックスは言った。「貿易だけではありません。文化交流もです。その点は父...陛下よりも、私は柔軟に考えています」「さようでございますか」ディリアスは、フェリックスと向かい合って話しながら、深く感心していた。彼がこちらにとって好意的だからというわけではない。彼が極めて優秀で聡明な人格を備えているからだ。若干十七歳にしてこの品格と知性と自信。それでいてジョークも言えるような柔軟さも持ち合わせている。彼ならば、人心を掌握し、国家をまとめることも難しいことではないのかもしれない。そう思わせる『資質と器』を感じさせる。父のファンドルス王(現国王)のような迫力こそないが、人の上に立つ者の素質があることは間違いない。「......しかし、リザレリス王女がご体調を崩されていらっしゃるとは、残念でした」「申し訳ございません」「ところで......」不意にフェリックスは妙な間を置く。
この物語を始めるにあたり、始めにいささかの説明を必要とせざるを得ないことがある。それは主人公となるヒロインについてだ。なぜなら、彼女には三つのややこしい事情が存在するからである。ひとつは転生者であること。ひとつは転生前の記憶と人格をそのまま保持していること。ひとつは吸血鬼であること。まずは、上記のことを踏まえた上で彼女のことを見ていただければと、お伝えしたい。それともうひとつ。彼女について、あらかじめご了承願いたいことがある。それは、彼女の転生前については多くを語りたくないということだ。理由は簡単だ。転生前の彼女...否、彼は、最大限言葉を選んで言えば、バカのつく遊び人だったからである。彼の特徴は二つ。長所→女にモテること。短所→女グセが悪いこと。さて、ここで簡単な算数の問題を考えてみよう。例えば「+10」と「ー10」があった場合に、それらを「かける(×)」とどうなるか?「ー100」だ。すなわち、それが彼である。そして大きくなった彼のマイナスは、いつしか彼の身に降りかかることになった。いや、こんな格好つけた表現、コイツにはいらない。彼は持ち前の女グセの悪さが災いし、数えきれないほど遊びまくった挙句に痴情の縺れで刺殺され、まだ若くしてその人生を終えたのである。どうだろう。おわかりいただけたであろうか。ヒロインの転生前について語りたくなかった理由が。叩けば埃が出まくりなのだ。そんなヤツが、何の因果か異世界の吸血姫に転生してしまったというのだから、この世はまことに奇妙というもの。いずれにしても......。新たな人生を歩んでいく彼女がどうなるのか。前世を反省して悔い改めるのか。前世を省みずバカを続けるのか。それはまだ誰にもわからない。そんな彼女を、あたたかい目で見守るも、冷たい目で突き放すも、皆様の自由です。しかし、願わくば皆様が、彼女の行く末に、どうか一喜一憂し賜らんことを。
まぶたをひらくと、彼女の目に飛び込んできたのは、美少年の白い顔だった。「......お、王女が、目覚めた!?」彼女の顔を覗き込んでいた美少年は、小刻みに震えだした。今の今まで一度たりとも目覚めることのなかった彼女の麗しい寝顔は、決して触れてはいけない神聖な宝石。それが今、本来の輝きを取り戻して眩い光を放つように、紅い瞳を彼に向けてきたのだ。「......お、おまえ、だれ?」彼女は彼を見て言った。しかし彼は何も答えられなかった。彼女の声を聞いた瞬間、感動が頂点に達し、わずかな言葉が口から出ることすらも困難になってしまったから。美少年はよろよろと後ずさって床に尻餅をついた。「?」何が何だかわからない彼女は、疑問を浮かべながら、ゆっくりと上体を起こした。頭がボーッとした。何かとてつもなく長い眠りから覚めたような、あるいは衝撃的な悪夢から醒めたような、感じたことのない気だるさがあった。「てゆーか、ここどこなんだ。病院なのか......?」彼女は天蓋のかかった大きなベッドから出て、部屋を見回した。やけに高い天井。やけに広い室内。妙に趣きのある西洋の古風な屋敷のような部屋は、とても日本とは思えない。「お、王女様......!」やっと立ち上がった美少年が、いきなり彼女の足元へ跪いた。「え?」彼女はぎょっとする。「な、なに」「お、王女様。いえ、リザレリス王女殿下!」美少年の声が広い部屋に響く。「......は??」彼女はマヌケな声を洩らして、ポカーンとする。「私は今すぐディリアス様へ知らせて参りますので、ここでしばしお待ちくださいませ!」そう言って美少年はうやうやしく頭を下げてから、部屋を飛び出していった。「な、なんなんだよ、いったい」寝耳に水とはまさにこのこと。彼女には何が何だかさっぱりだった。「そもそも、なんで俺が王女様なんだよ......」そう呟いた次の瞬間、彼女はハッとする。突如としてあらゆる違和感が怒涛のように押し寄せてきた。「俺......俺じゃない!?」
【1】彼女の名前はリザレリス・メアリー・ブラッドヘルム。この国〔ブラッドヘルム〕の建国者である伝説の吸血鬼ヴェスペリオ・リヒャルト・ブラッドヘルム王を父に持つ、吸血鬼のプリンセスである。かつてブラッドヘルム王からプリンセス・ロイヤルの称号も与えられているリザレリスは、まさしく正統なる終身の吸血姫だ。「あ、あのぉ......」気がつけば舞台衣装のような宮廷ドレスにティアラまで被せられ、促されるがままに玉座へ座らされていたリザレリスは、ひたすら当惑していた。彼女の眼前には真紅の絨毯が川のように伸び、それを挟んで城の者たちがズラッと総出で片膝をついている。数段高い玉座から、彼女が彼らを見下ろす光景は、まさに王女と家来たちの構図といったところだ。ただし家来たちに、それを強制されたような様子は微塵もうかがえない。むしろ抑えきれない王女殿下への拝謁の喜びを堪えているように見える。というのも......。ついさっきまで、城中てんやわんやの大騒ぎとなっていたからだ。ついに五百年の眠りからリザレリス王女が目覚められたと。その間、当のプリンセス本人は現実についていけず、ただただ狼狽するのみだったが。「王女殿下。どうかお言葉を」彼女の隣に寄り添って立つ、この眼鏡をかけた長身痩躯の年配紳士はディリアス。彼は王女の側近となる人物だ。「そ、その、ディリアス」「なんでございましょう」「い、いや、なんでもない」リザレリスの頭の中の混乱は一向に収まっていない。前世で刺されて死んだ男が、どこぞのお姫様に転生した。それは理解した。だが、理解はしても受け止めきれていなかった。「......てゆーか、なんで前世の記憶も人格もそのままで、このリザレリスとかいう女のそれはまったくないんだ?」思わず口をついて出てしまう。はたとしたリザレリスは、ディリアスの顔を見上げた。ディリアスはきょとんしている。「王女殿下。なんとおっしゃいましたか?」彼の顔を見つめながらリザレリスは逡巡するが、すぐに覚悟を決めた。というより、すでにもう面倒臭くなったのだ。「俺の言葉だけど......」リザレリスはすっくと立ち上がった。一同の視線が、彼女の光輝で麗しい姿へ集中する。美しい黄金の長髪に薔薇のような紅い瞳。それらをより際立たせる透き通るような白い肌。まだ十代のうら若き乙女に見えながら
「私としたことが、つい舞い上がって先走ってしまいました。大変申し訳ございませんでした......」自室に戻ってベッドに腰かけたリザレリスは、中年紳士のディリアスから深々と頭を下げられた。彼のロマンスグレーの頭髪がリザレリスの瞳によく映る。「よくよく考えればわかることでした」むっつりとしたまま答えないリザレリスに向かい、ディリアスが顔を起こした。「リザレリス王女殿下は五百年間も眠ったままだったのです。記憶を失くしていたとしても不思議ではありません。たとえ記憶を失くしていなかったとしても、混乱は避けられなかったでしょう。五百年前がどうだったのか。私は残された記録によってしか知りません。ですので実際にどうであったのかはわかりませんが......きっと今とは世界も大きく異なったのでしょう。とりわけブラッドヘルムは......」そしてディリアスは床へ膝をつくと、リザレリスへ、知るべきと思われることを語った。世界のこと。吸血鬼のこと。ブラッドヘルムのことを......。「......ということです。臣下の者たちへリザレリス王女殿下をお披露目する前に、こうして私から殿下へきちんと説明すべきでした。本当に申し訳ございませんでした」ディリアスは再び頭を下げた。しばらく彼を見つめてから、不意にリザレリスがすっと立ち上がった。ディリアスは顔を起こす。「王女殿下?」リザレリスは部屋の中を進んでいくと、姿見の鏡の前で立ち止まった。「これが、今の俺......」正直、しっかりと説明を受けたところで、やはり受け止めきれない。質問したいことも山ほどあれば、頭に入ってすらこないことも多くある。そもそも、考えるのも面倒だった。この世界がどうとか、国がどうとか、吸血鬼がどうとか言われても、他人事のようにどうでもよく思える。だって自分は日本人の青年で、女にモテて、日々を充実して過ごしていたんだ。最後の最後で女に刺されてしまったけれど、それまでは本当に楽しくやっていたんだからーー。リザレリスの頭と心には、未だに前世への未練が色濃く残っていた。だが、鏡に映る絶世の金髪美少女をじっくりと眺めているうちに、ふと新たな想いが湧き起こってくる。「美人のお姫様、か」実際の吸血鬼というものがどんなものなのかは、まだよくわからない。だけど、美人のお姫様の人生というのは、悪くないんじゃないか
【6】ディリアスと王子たちの非公式の会談は、和やかに行われていた。といっても話をしていたのはディリアスとフェリックスで、レイナードは兄の隣で相槌を打っているだけだった。「私はもっと〔ブラッドヘルム〕との貿易は盛んにすべきだと思っています」兄のフェリックスは言った。「貿易だけではありません。文化交流もです。その点は父...陛下よりも、私は柔軟に考えています」「さようでございますか」ディリアスは、フェリックスと向かい合って話しながら、深く感心していた。彼がこちらにとって好意的だからというわけではない。彼が極めて優秀で聡明な人格を備えているからだ。若干十七歳にしてこの品格と知性と自信。それでいてジョークも言えるような柔軟さも持ち合わせている。彼ならば、人心を掌握し、国家をまとめることも難しいことではないのかもしれない。そう思わせる『資質と器』を感じさせる。父のファンドルス王(現国王)のような迫力こそないが、人の上に立つ者の素質があることは間違いない。「......しかし、リザレリス王女がご体調を崩されていらっしゃるとは、残念でした」「申し訳ございません」「ところで......」不意にフェリックスは妙な間を置く。
国賓用の豪華な応接間に、ディリアスが王子ふたりを迎え入れた頃。エミルの監視の下、リザレリスは自室で大人しくすることを余儀なくされていた。幸い侍女のルイーズが所用で席を外しているのをいいことに、リザレリスはぶつぶつとボヤく。「レイナード王子って、本当にあの黒髪のクソイケメンなのかなぁ?だとしたら文句言ってやりてー」ここで急にリザレリスは「あっ」となって、すっくと立ち上がった。 「リザさま?」「なあエミル。確かめに行こーぜ?」「確かめる、ですか」「だから本当に雑貨屋であったアイツらが王子なのかどうかを確かめに行くんだよ」「しかし、ディリアス様には会談が終わるまでは部屋から出ないようにとの指示が...」「だからさ。こっそり覗きにいってみよーぜ?」「の、のぞきにですか?それは......」当然ながらエミルは賛同しない。そんなエミルを見て、リザレリスはニヤリとする。
「ウィーンクルム王子がお忍びでブラッドヘルムに来ていた、ですか......」話を終えたドリーブが退室し、三人だけとなった部屋で、エミルはため息をつくように言った。「てゆーかさ」と、事の重大さを理解していないリザレリスは背もたれに体を預けながらのん気に言う。「それのなにが問題なんだ?」エミルの目が点になるが、ディリアスは半ば感心したように軽く吐息をつく。「さすが王女殿下は大物ですね。確かにこうなってしまった以上、焦っても仕方ありません」「だって王様が来たわけじゃないんだろ?」リザレリスはあっさり言ってのける。彼女は深く考えていない。「王子が来たぐらいでさ」「おっしゃるとおりです。しかもお忍びということは非公式ということ。ただ、問題はタイミングなんです」「タイミング?......あっ」「気づかれましたか?」「俺...じゃなくて、わたしと王子の結婚が話題になってたんだ!」やっと理解したリザリレス。「だからその話をぶち上げたドリーブのおっさんが焦りまくってたのか」「さようでございます。もしウィーンクルム王子の機嫌を損ねることになり国交関係にも影響を及ぼすことにでもなれば、ドリーブ卿の政治生命にも関わることになります」「ということは」リザレリスは閃いたようにぽんと手を叩く。「ディリアスの立場はむしろ安泰になって良いじゃん」「いえ。私の立場の問題などは、国家の問題に比べれば瑣末なことに過ぎません」ディリアスは神妙に言う。「〔ウィーンクルム〕との国交関係が悪くなることは、国益に反します。それは由々しき問題です」にわかに部屋の空気が重くなる。さすがのリザレリスも、肘掛けに肘を置いて頬杖をつき、難しい顔をする。エミルは床を見つめて何かを考えていたが、ふと思い出したように口をひらいた。「ディリアス様」「どうした?」「ウィーンクルム王子のお名前を、改めてお伺いしてもよろしいですか?」「長男がフェリックス・ヴォーン・ラザーフォード。次男がレイナード・ヴォーン・ラザーフォード。その下がフレデリック・ヴォーン・ラザーフォード」ディリアスの返答に、リザレリスとエミルは、やおら顔を見合わせる。「ま、まさか......」次の瞬間だった。また部屋の扉が慌ただしくノックされた。ノック音のテンポと強さから、先ほどよりも深刻さが感じられる。なにか急ぎの用であろうか。
【5】城に戻るなり、リザレリスはエミルを連れてディリアスの執務室に押しかけた。先ほど考えたことを伝えるためだ。「本当に、よろしいのですか?」王女の提言を受け、ディリアスは一驚し、確認を求めた。「だって別に、ここまで贅沢しなくたって生きていけんだろ?」リザレリスはふんと鼻を鳴らす。「承知しました。ではそのようにいたします。国民の心がよくおわかりになる、親愛なる王女殿下」ディリアスは深々とお辞儀をした。それは忠誠心だけではない、心の底からの感謝の念がこもっていた。さらにその感謝から、さらなる忠誠が形成されていくようだった。リザレリスの斜め後ろに控えるエミルも、ディリアスと同様の想いでお辞儀をしていた。「そ、そこまで言われることでもねーし」何となく気恥ずかしくなったリザレリスは腕組みして視線を逸らした。彼女の提言とは何だったのか?それは城での暮らし向きについてのことだった。ここまでの贅沢は必要ないし、なんだったら一般国民と同じぐらいの普通の生活でもいい。リザレリスはそう伝えたのだ。「あっ、でもやっぱりご飯は、それなりに美味しいものは食べたいかな〜」言ってから急に惜しくなったのか、リザレリスは頭をポリポリ掻きながら潔くないことも口にした。彼女のその決まりきらない感じは、むしろディリアスとエミルの好感の笑いを誘った。そんな時だった。突然あわただしく部屋のドアがノックされた。何かと思いディリアスは思考を巡らせるが、すぐにエミルに目配せをしてドアを開けさせた。「ディリアス公!」入ってきたのは小太りの重臣、ドリーブとその部下だった。「なんだ、騒がしいな。一体どうした?」ディリアスが応じるとドリーブは、彼の前に立っている若い女に気づいて怪訝な目を向けた。女はボンネット帽子を脱いで反応する。王女の可憐な顔が露わになった。「なんだよ」「こ、これは、王女殿下!」「いいからいいから。それよりなんかあったの?「そ、それが、実は......」と部下の方が言いさした時。「まったくなぜそんな重要な情報を掴めなかったんだ!」ドリーブが部下を怒鳴りつけた。「も、申し訳ございません」「使えないヤツだ。この馬鹿が。よりにもよってなぜこのタイミングで......くそっ!」ドリーブは王女の面前で口汚く部下を罵しった。明らかに何かがあったことを示している。リ
「なんだか楽しそうだね〜」金髪の美男子はニコニコしながらリザレリスたちに歩み寄ってきた。「えっ、おまえの兄貴なの?」リザレリスが訊ねると、黒髪の美男子はうんざりした顔で頷いた。「ああそうだよ」「そうです。僕は彼の兄です。素敵なお嬢さま」金髪の美男子はリザレリスに上品な笑顔を向けた。 「そ、そうなんだ」思わずリザレリスは彼の顔に見入ってしまう。黒髪の男に負けず劣らずの美男子。だがこちらの男の方はもっと優雅な気品があり、自然な余裕に満ちあふれている。細長いまつ毛の間からのぞく怜悧な目には、アンティークゴールドの瞳が上品な輝きを放っている。まるでどこぞの超イケメン坊っちゃんだ。これは普通の女だったらソッコーで落ちるだろうなと、リザレリスは前世の人格から本気で思った。「ん?僕の顔になにかついているのかな?」不意に金髪の美男子がリザレリスの顔を覗き込んできた。「い、いや、なんでもない」リザレリスは後ず
「おっちゃん。これはなんだ?」不意にリザレリスが、ある品物を手に取った。それは不思議な薄青色の石を添えたストーンリングだった。「おっ、嬢ちゃん。見る目があるじゃねえか」「なんか特別な指輪なのか?」「それは魔法の指輪だ」「魔法の?」「そうだ」店主のオヤジはニヤリとする。「なかなか手に入らねーんだぜ?」「これでなにができるんだ?」「それは氷のリング。つまり、そいつを使えば強力な氷魔法が使えるってわけだ」「マジか!」「買ってくか?」「欲しい欲しい!」「でも嬢ちゃんは魔法を使えんのか?そんな感じには見えねえが」「えっ、誰でもいいってわけじゃないの?」「魔力持ちの魔法が使える奴じゃないと意味ないんだよそいつは」「魔法ならエミルが使えるぞ」リザレリスはエミルへ視線を投げる。「ほう。にーちゃんは魔法が使えんのか?」「多少は、心得はありますが」エミルは控えめに答えた。そこへリザレリスが即ツッコむ。「多少なんてもんじゃねーじゃん!おっちゃん、こいつはマジでスゲーんだぜ?」「ずいぶんと若いのに、にーちゃんは魔導師なのか?」「まあ、最低限の訓練は受けました」「なあエミル。これ買ってさ、氷の魔法をわたしに見せてくれよ」リザレリスは笑って言ったが、本音だった。二日前にエミルの魔法による凄まじい動きを見せられてから、魔法に興味を持ち始めていたのだ。「かしこまりました。リザさまがご所望ならば」王女殿下が喜ぶならばと、エミルは承諾した。そうしてエミルが店主と売買の手続きを開始しようとした時だった。「おっ、なんだよ。ここもシケてんなぁ」と突然、他の客が店に入ってきた。こんな雑貨屋には到底ふさわしくない、やけにスラっとした背の高い黒髪の美男子だった。身なりも実にきちんとしていて、どこかの貴族の子息かと思われる。歳はエミルよりもやや上だろうか。 「おい店主」黒髪の美男子は店主のオヤジを見つけるなりズカズカと三人へ近づいてきた。「お客さん。申し訳ねえけど今はこっちのお客さんの相手をしててね」店主はエミルから代金を受け取るところだった。「おっ、それって、魔法のリングか?」男は会計カウンターに置かれた指輪に視線を落とした。「よくわかったな。今からこちらのお二人さんが買ってくんだ」「その石の感じだと、氷のリングだろ」「あんた、魔導師なのか?
入店すると、自然とウキウキしてきたリザレリスは、きょろきょろと店内を見まわした。でもすぐに「あ......」となった。「なあ、エミル」「どうしましたか?」「なんというか、あれだな」 昼間なのに薄暗い店内。埃の被った棚と品々。店の奥に控える店主のオヤジは、座ったままリザレリスたちへ一瞥をくれてから、退屈そうに手元の新聞へ視線を落とした。「ずいぶんと陰気くさいな」思わずそんな言葉が口からついて出てしまったリザレリスだったが、合点がいく。これがディリアスの言っていた「国の窮状」の一端なんだと。「そうだよなぁ」と店主のオヤジが不機嫌そうに口をひらいた。「たしかに陰気くせーよな。以前はまあまあ繁盛してたんだがな」「申し訳ございません。悪気はないのです」エミルが一歩前に出て、リザレリスの代わりに謝罪する。「べつにいい。事実だからな。一時期は〔ウィーンクルム〕からの観光客で溢れ返ったことだってあるんだ」「へぇー、インバウンドってやつか」とリザレリス。「ところが今じゃこの有り様だ。親父の代から続けてきたが、このままじゃ店を畳むことになるぜ」店主のオヤジは新聞をぐしゃぐしゃにしながら吐き棄てた。「そうなんだ......」何を思ったか、リザレリスは陰気な店主につかつかと歩み寄っていく。「リザさま?」心配顔を浮かべてエミルも付き添っていく。「なんだ?嬢ちゃん」店主のオヤジはやさぐれた眼つきで睨みつけてきた。リザレリスはボンネット帽子の下から可憐な顔を覗かせて切り出す。「ひょっとしたら、この辺りの店は全部そんな感じなのか?」「だろうな。それでも開いてる店はまだマシだ。何とか生き残ってるわけだからな。まあでも、地方に行きゃーもっと酷いだろう」「どこもかしこも景気が悪いってことなのか」「一部の金持ち以外はみーんな不況さ。これで〔ウィーンクルム〕との国交が絶たれちまったら、おれたち庶民はマジでどうなるかわかんねえ」「そんなに〔ウィーンクルム〕との国交って大事なんだな」「当たりめーだろ。輸入に輸出に観光に、一体どれだけの影響があると思ってんだ。世間知らずの嬢ちゃんだな」「なるほど。ディリアスやドリーブが言ってたことの実態はこういうことだったんだな」腕組みをしてうんうんと頷くリザレリスを見ながら、ふと店主のオヤジが何かを閃いた顔をする。 「嬢ちゃん
翌日のよく晴れた午後。リザレリスは城門を抜け、街へ飛び出した。昨日の今日で城は何かと騒がしかったが、ディリアスのおかげでこっそりと抜け出すことに成功した。ディリアスいわく、城にいてドリーブ派に接触されるよりは、いっそ外出するのは良い方法かもしれないとのこと。質素な服(といっても小洒落た町娘ぐらいのレベル)に着替え、古風なボンネット帽子を被ったリザレリスは、子どものようにはしゃぐ。「へ〜これがブラッドヘルムの街か〜」王女に転生してから初めての外出。リザレリスはここぞとばかりに異世界というものを満喫できると胸を踊らせていた。もちろん政略結婚の話は気になっていた。しかしこういう時だからこそ外で遊んで気を晴らすのが一番。そう思って彼女は羽を伸ばそうとしているのだ。「城も雰囲気あっていいんだけどさ。なーんか息苦しいっていうか、のびのびできないんだよね」リザレリスは、街の中心街の通りに軒を連ねる店々を興味津々に眺めた。まるで旧時代の、西洋の城下町に旅行にでも来たような気分になり、俄然テンションが上がってくる。ところがだった。 「なんか、やけに人が少ないような?」街の中心部の商店街のはずなのに、閑散としていた。よく見れば、閉まっている店も多い。「定休日なのかな」と呟きながらも、リザレリスの頭の中にはひとつのワードが浮かんでくる。「シャッター街......」だが、せっかく来たのだから楽しまないともったいない。シャッター街ぐらいどこにだってあるだろ。リザレリスは持ち前のテキトーさで気持ちを切り替え、どこか面白そうな店はないかと進んでいった。「おっ、あそこ、なんか気になるかも」ある雑貨屋を見つけ、リザレリスは小走りになると、ふと店前で立ち止まった。それから一歩遅れてきたエミルへ振り返る。彼女の顔は何か言いたげだった。「王女殿下?」「エミルももっと楽しめよ」「私はあくまで王女殿下の護衛です。私などには気にせず楽しんでください」真面目なエミルは微笑み返しながらも仕事の姿勢を崩さない。リザレリスは、ぶぅーっと口を尖らせる。「城では上司もいるからしょうがないだろうけどさ。ここでは他に誰もいないんだしいいじゃん」 「そういうわけには参りません。貴女は王女殿下で私は護衛です」「その、王女殿下ってのもやめてくんないかな。なーんかやりづらんだよなぁ」「それ
【4】リザレリス王女とウィーンクルム王子の結婚の話題は、まるで既成事実かのように国中へ広がっていってしまった。ドリーブはマスコミにも強いパイプを持っている。彼の息のかかった新聞記者たちが動いたに違いない。「このような事態になり、大変申し訳ございませんでした」夕陽が射しこむ王女の自室で、ディリアスはリザレリスに深い謝罪を示した。これは完全に失態。ドリーブにいいように出し抜かれてしまった。頭を垂れながらディリアスは歯ぎしりを抑えられない。このような状況になってしまった以上、表立って政略結婚に反対することも難しくなってしまった。ここでディリアスが反対意見を表明した場合、ドリーブの張る論陣はこうだろう。「ディリアス公は自身の権力が揺らぐのを恐れて王女殿下の結婚に反対している。国家の窮乏も顧みず、己の権力欲のためだけに」実に巧妙で狡猾。ディリアスは追い詰められているのだった。しかもドリーブの、政略結婚を正当化する理論自体は間違ってもいない。王女殿下が目覚めてから僅かの間によく練り上げて実行したなと、ディリアスは感心すらしていた。事実、思想信条や人格は別にして、ドリーブは極め